月の記録

客間で待機を命じられ、そわそわしながら待っていると扉が開いた。その瞬間、反射的に逃げの姿勢をとっていた。無駄なあがきだと解っているが、ルルーシュが来たら窓から逃げるつもりでいたため、相手が誰かも確認する前に体が動いていた。
この行動で新たな怒りを買う事になっても、ユーフェミアに呆れられてもどうでもいい。
今ここで宣言されれば、それで終わってしまう。
彼の傍から離れなければならなくなる。
だが、入ってきたのはアリエスに長く仕えているメイドだった。

「間もなく、ユーフェミア様がおいでになられます」

窓から逃げようとしているスザクを見ても眉一つ動かさずに、メイドは紅茶とクッキーをテーブルに置くと部屋を出た。
よかった、ユーフェミアが先かと安堵の息を吐き、窓から離れた。
皇位継承権が上のユーフェミアを優先させたのか、早く帰らせるためかは解らないが、これはチャンスだ。ユーフェミア経由で解任を申し渡されても、それは拒否できる。ここにいる事は不幸ではなく、自分が望んでいるのだと伝えよう。それで説得できなくても、先ほどここへ通された時、メイドがすぐにマリアンヌ皇妃に連絡をとると言っていたから、もしかしたらどうにか乗り切れるかもしれない。
緊張から喉がからからに乾いていたため、出された紅茶に口をつけた。

「・・・あ、美味しい」

普段は砂糖など入れないのだが、心身ともに疲れる事態になるだろうと、恐らく気を利かせてくれたのだろう。ほんのりとした甘みを感じながら、カップを傾けた。

キッチンへと戻ってきたメイドは、そこに佇む人物に一礼した。

「ルルーシュ様、これで宜しかったでしょうか」
「ああ、助かったよ。ありがとう」
「ルルーシュ様、騎士のお話ですが、私はスザク様のお味方だという事、お忘れなきようお願いします」
「解っている、反対しているのは俺とナナリーだけだという事もな。なに、俺の騎士でいるよりも、ユーフェミアの騎士である方が、ずっと幸せになれる」

これでようやく、自由になる。
ルルーシュは普段よりも幾分か柔らかな笑みを浮かべ、キッチンを後にした。
メイドはため息一つ吐くと残されていたティーポットを手に取った。これは、ルルーシュが自分で紅茶を入れる時にだけ使用するものだった。
あの騎士は、今日初めて主が淹れたお茶を口にした事になる。
恐らくは、これが最初で最後だろう。
あの主は、解任する意思を変えるつもりはないのだから。
騎士にと用意された琥珀色の液体の中には、少量の砂糖が混ぜられていた。それを騎士はどう受け止めるだろうか。気遣いと受け止めるだろうか。それとも、警戒してくれるだろうか。砂糖は、騎士の身を考えて入れたものではない。ルルーシュが持つ薬の味をぼかす為に入れたものだった。
ほんの少量で、すぐに効果を発揮する睡眠薬。即効性は高いが、数分から長くても十数分で切れてしまう。副作用はほぼなく、常習性もない。だから、ルルーシュが仮眠をとるときによく用いられている。ほんの短い眠りでも、脳から疲れを取り除いてくれると重宝している一品で、ルルーシュが睡眠薬を使用している事を知るのは、マリアンヌを含めて数名だけ。長年共にいた騎士だったが、この薬の存在を知らないだろう。
それを、騎士は盛られたのだ。
警戒するか、あるいは薬の効果が及ばず目を覚ましていれば逃げられるだろう。
だが、警戒することなく飲みほしていれば、ルルーシュに捕まる。
そこで終わり。
騎士は解任され、新たな主の元へ向かうこととなる。
アリエスにいる者はだれもが知っている。
スザクが主にと願っているのはルルーシュだけなのだと。
たとえ慈愛の姫・ユーフェミアであっても、スザクの求める主はルルーシュなのだと・・・それを知っていても、もう止める方法などないのだ。

「スザク様、ルルーシュ様を恨まないでください」

メイドはティーポットを拭くと、棚の中へと戻した。